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新11期(1959年卒)卒業時6組クラス会(3・6ジンタの会) ‐直近の報告とこれまでの経過など‐

ニックネーム「3・6ジンタの会」の由来

卒業当時、TVのコマーシャルで、「ジンジン仁丹ジンタカタッタッタ~(上がる)、ジンジン仁丹ジンタカタッタッタ~(下がる)」が流行っていた。これに「3年6組」をはめ込んで、笹崎君が「3年6組ジンタカタッタッタ~(上がる)、3年6組ジンタカタッタッタ~(下がる)」と歌いだし、あまりのノリの良さに皆感動して、いつの間にか我々のクラス会唱歌となった。担任の磯村良夫先生(ニックネーム:原爆さん‐由来は怒ると猛烈‐)にも気に入っていただいたこともあり、先生ご存命中に「3・6ジンタの会」(以下、本会)をクラス会ニックネームとした。なおこの歌は実に歌いやすいので、「仁丹」を知っている人(1965年卒くらいまで?)にはぜひ歌ってみていただきたい☺

直近に開催された「3・6ジンタの会」ー第26回ーの報告

■日時:2023年4月4日(火)午後1時から2時間+α

■会場:東天紅 上野店 5階 朱雀の間

■参加者11名:会田八郎、大野裕朗、木下国夫、桒原和夫、近藤 稔、竹石佳一、平井功一(本会幹事長)、福田晧一、村田英世、𠮷野肇一

柴田弘之君(特別参加。卒業時3組であったが、1,2年時磯村先生の担任クラスで、本会趣旨に積極的に賛同)

 

コロナ禍のため4年ぶりに開催された。この間に、会員全員、82歳を超えた。

正午に上野駅公園口で待ち合わせた9名が再会を喜んだ後、外国からの観光客や春休みの親子連れでコロナ禍前に迫る賑わいの上野公園を、不忍池辯天堂経由で、晴天下に葉桜(例年よりも10日も早く開花したため)を楽しみながら逍遥して会場に向かった。

会場のピクチャーウインドーからは、眼下に葉桜のほか、陽春の不忍池に映える新柳と枯荷の黄色のコントラストが眩しく、東叡山の向こうにはスカイツリーが望まれた。

会では先ず、この4年間に逝ってしまった須賀川、横田両君に黙とうを捧げた。

これまでの20人前後の出席者数が、今回は11人となってしまったが、出席者が順に近況報告。口では元気とは言っても、多くは足許がおぼつかなく、心臓にステントを入れている有様。それでも、ゴルフや旅行、NHKの語学番組で勉強したり、地域のボランティアーをしたり、ジムで体を鍛えたりと自分なりの努力をしていた。そして、誰もがこの会への出席と会に対する思い入れは強く、名古屋からの福田君や、桒原君が頑張って奇跡的に腰痛を和らげ駆けつけてくれたのは感激である。這ってでも出席する気迫があったが、体調不良で「出席を断念」せざるを得なかった荒木経惟・井田 齊・伊藤君夫・江部尚武・中村悌一君の思いを知り、電話がつながった中村君とはスピーカー受話で、会の様子を共有した。会員の中には、直前のコロナ感染、梗塞で倒れて入院・自宅療養中の者もいた。

そのような皆の思いを、初参加の柴田君が「佐保姫の寿ぐ集いやジンタの会」比呂 と詠んでくれた。これに対して、平井君より「八二翁 二八の春を 歌うべし(3・6ジンタの82歳の爺は、16歳の佐保姫(春の女神)の春の歌を歌わなければね)」功伯 との返歌披露があった。

こうした思いはきっと磯村先生への敬愛と、先生からの我々に対する教育愛の賜物であろう。 

最後に医師の𠮷野君から恒例の健康談議で、「歯を大切にし、歯槽膿漏には気をつけましょう」とあり、一同しきりに納得した。

後列左より 柴田、 大野、 近藤、 竹石 、村田、 吉野

前列左より 桒原、 会田、 平井、 福田、 木下

2時間余の楽しい歓談の後、多くが上野公園に戻り、国立西洋美術館内の珈琲ショップでお茶の後、来年の再会を約束し散会した。

なお、この日のために井田君が、今までの本会の写真(自身で撮影された)をプリントアウトして送ってくださったので、回覧した。また、木下君からは、これまでの会の様子を撮ったUSBが複数、提供された。いずれもありがたいことである。

会員の現状

53名卒業時53名、消息不明6名、物故者11名で、消息不明・物故者合わせると17名、32%にも達する。この数字は、昨年、送られてきたクラス別同期会名簿に照らし合わせると、平均的な数字ではあるが、誠に寂しいものがある。

歴史

第1回 1959.3卒業式後、母校にてクラス単位で行われた謝恩会

第2回 1960 笹の雪

第3回 1961 蛇の目寿司

第4回 1962 母校体育園

第5回 1963 日比谷パレス

第6回 1964 千代家

第7回 1965 タヌキヤ

第8回 1966 久保田(鰻)

第9回 1967.4.2 三善

第10回1969.10.11 新長寿司

第11回 1986.5.21 上野精養軒

第12回 1993.4.18  別館浜田屋  

第13回 1995.4.8 目黒雅叙園(磯村先生古希祝)

第14回 1999.4.10  海燕亭(オペラシティー54階)

第15回 2001.5.19  東天紅 上野店

第16回 2004.2.21  上野池之端 水月ホテル 鴎外荘 舞姫の間

第17回 2006.2.25  神田 鳥すきやき ぼたん

第18回 2008.2.23  向島もんじゃ とも

第19回 2009.3.7   上野池之端 水月ホテル 鴎外荘 舞姫の間

第20回 2011.3.5   両国鳥料理 かど家

第21回 2013.3.7   上野池之端 水月ホテル 鴎外荘 舞姫の間

第22回 2015.3.30  浅草寺門前 すき焼 今半別館 

第23回 2017.3.31  東天紅 上野店(喜寿祝)

第24回 2018.4.6  上野精養軒 

第25回 2019.4.4   東天紅 上野店 ~この後、コロナ禍~

第26回2023.4.4  東天紅 上野店

第27回2024.3月予定 上野精養軒 又は東天紅 上野店

注:本原稿は、平井幹事長の草稿と資料を基に、吉野が叩き台を作り、全員に電送して添削され、完成したものである。

以上