· 

「徳本寺」見学会(2025年9月26日)のご案内

NHK大河ドラマ「べらぼう」2025年7月27日放映の第28回「佐野世直大明神」では、「徳本寺」が舞台の一部となりました。今回「徳本寺」の住職である白尾元理氏のご厚意により、境内や墓所、貴重な文化財である所蔵品や美術品の見学が実現する運びとなりました。実は白尾氏は母校23期の卒業生であります。今回の主な見所としては、①佐野善左衛門の墓所 ②殿中殺傷事件を題材とした錦絵『有職鎌倉山』 ③松前廣年(蠣崎波響)の画『西王母』、などがあげられるとのことです。普段は一般公開しない所蔵品なども拝見させて頂ける、絶好の機会かと思います。当日はご住職から直々に、ご案内・説明を頂く予定となっております。皆様のご参加をお待ちいたしております。

 

日 時 2025年9月26日(金)午後2時から1時間半程度

場 所 「徳本寺」台東区西浅草1-3-11 地下鉄銀座線「田原町駅」3番出口より徒歩3分(現地集合)

人 数 15名(見学先の事情により定員になり次第〆切りといたします。)

費 用 無料(懇親会参加者は現地で会費を集金いたします)

対 象 東叡会会員(東叡会ホームページ等での告知により募集)

備 考 見学会終了後懇親会を予定(希望者のみで会費4~5千円程度)

 

※ 下記URLまたはQRコードよりお申し込み下さい。

その際には卒業期もお知らせください。

 

https://x.gd/7pQs0

地下鉄・銀座線「田原町」下車3番出口から徒歩3分

【解説】

佐野政言(通称「善左衛門」)は江戸時代中期の旗本であり、天明4年(1784年)、江戸城内にて若年寄・田沼意知を斬りつけ、死に至らしめた人物です。動機には諸説ありますが、家系図の改ざん、功績の隠蔽、神社名の横領など、田沼家に対する積年の不満が背景にあったとされます。事件後、政言は切腹を命じられましたが、その行動は庶民の間で「世直し」として称えられ、田沼政権への抗議の象徴となりました。意知の死後に米価が下落したこともあり、政言は「世直し大明神」として神格化され、東京都台東区西浅草の浄土宗・徳本寺にある墓所には、現在も参拝者が訪れています。

 

この事件が起きた背景には、田沼意次が推進した重商主義的政策への庶民の不満がありました。田沼政権は株仲間の奨励や蝦夷地開発などを進める一方で、賄賂政治の象徴として批判を浴びていました。とりわけ、天明年間に発生した一連の災害が、田沼政治への不信感を加速させました。

 

その代表的な災害が、天明3年(1783年)に発生した浅間山の大噴火です。この噴火は約3か月にわたって続き、最盛期には火砕流や土石流が群馬県嬬恋村の鎌原村を壊滅させ、約1,500人以上の死者を出しました。噴煙は成層圏に達し、関東一円に火山灰が降り注ぎ、江戸でも昼間に暗闇となるほどの影響を及ぼしました。火山灰は農作物の光合成を妨げ、すでに始まっていた天候不順をさらに悪化させ、天明の大飢饉(1782〜1788年)を深刻化させる要因となりました。(注:1783年のアイスランド・ラキ火山の巨大噴火の影響の方が大きかったと推測される。)

 

天明の大飢饉では、冷害や凶作が続き、全国で数十万人規模の餓死者が出たとされます。農村では打ちこわしや暴動が頻発し、「田沼が天の怒りを買った」とする迷信的批判も広がりました。幕府は有効な救済策を打ち出せず、庶民の間では「将軍と田沼は民の声を聞かない」という不満が蓄積されていきました。こうした社会的混乱の中で、田沼意次は天明7年(1787年)に失脚し、松平定信による寛政の改革へと政権が移行しました。佐野政言の行動は、こうした時代背景の中で庶民の怒りや不満を代弁するものとして後世に語り継がれています。

 

● 台東区公式観光情報サイト https://t-navi.city.taito.lg.jp/spot/1193

● 美術展ナビ https://artexhibition.jp/topics/news/20250726-AEJ2700901/

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    24期 井上 (月曜日, 04 8月 2025 18:54)

    見学会終了後懇親会を予定しておりますが、浅草・吾妻橋の「神谷バー」を予約しているとのことです。懇親会のみ参加の方も歓迎いたします。